ただのメモ帳

個人的なメモなので、誰の役にも何の役にも立ちません

曽野綾子発言

とりあえず曽野綾子氏は間違っている

曽野綾子氏の人種差別発言は各所で物議を醸しているが、このコラムには胸がすっとした。
シャープな物言いは斎藤環氏ならでは。曽野綾子に真っ向から反論するのではなく、彼女の置かれた立ち位置に対して異論を発している。

いきなり何事かと思われたかも知れないが、とりあえず曽野綾子氏は間違っている。彼女が2月11日付産経新聞に記したアパルトヘイト容認コラムのことだ。彼女はこう書いたのだ。「南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった」と。

なぜ日本のマスメディアはすぐに反応しなかったのか。これも現政権による言論統制の成果なのか。おそらくそうではない。今回のコラムは「あの曽野綾子氏」が、いかにも「あの産経新聞」に書きそうな内容だった。つまり“平常運転”なのでニュースバリューはなかった。もし曽野氏が「格差解消のために累進課税の導入を」などと発言したら一大ニュースだ。人が犬を噛(か)んだらニュースになる、とはそういうことだ。

私たちは世界にもまれなキャラ文化の住民だ。キャラの立った保守論客のトンデモ発言すらも、「ああいうキャラだからしょうがない」と笑い、「ツッコむだけ野暮(やぼ)」と免責する程度には寛大だ。しかしこれは、「立ったキャラ」の言動については責任能力を問わない、という意味で差別であり、キャラの人権の否定にほかならない。保守論壇人といえども人権は尊重されなければならない。私は曽野氏の人権の回復のためにも、メディアが彼女をキャラとして差別し消費することに、強く反対するものである。

(表現のまわりで)差別発言、キャラで免責 寄稿・斎藤環 | 朝日新聞(2015年2月24日)

南アフリカからみた曽野綾子発言

各所で話題になった人種問題についての曽野綾子発言。
三浦記者はこの発言に対する現地の反応をリポートした。
丁寧なリポートは必読。三浦記者のリポートはいつも読んでしまう。

あと、余談だけれど、ケープタウン大に通う日本人女性も記事内に登場する。
別に今の時代どこに留学するのも自由なのだけれど、ケープタウン大を選択した彼女に正直一種の眩しさも感じた。 学生時代に私もそういう選択をしてみたかった、と今さら思ったりした。

三浦記者のツイートをまとめたリンク。

三浦記者の実際の記事はこちら。
(@ケープタウン)南アフリカから見た曽野綾子さんコラム