ただのメモ帳

個人的なメモなので、誰の役にも何の役にも立ちません

母の本音

「母」は年をとればとるほど、子どもにさえも気を遣うようになる。私も等しく年をとり、そんな母の姿に気づくようになった。
お互いの本音が見えず、気が付けば近くにいる他人のよう。この投稿が私の母と私の関係に激しく似ていて、胸がつまった。

母に連絡がつかず、一抹の不安を抱いて実家を訪れると、冷たくなった母が居間で横たわっていた。検視の結果、死後2日と診断された。孤独死だった。

先週、実家に寄ってさえいれば、こんなことにはならなかったのに。通夜や葬儀の準備であわただしい中、私は自分を責めた。

4年前に父が他界してから母は独り暮らしだった。ひざの状態が悪く、外出もままならなかった。

そこで、歩かないで済むバスツアーを見つけては、母を連れ出した。歌舞伎座鑑賞、隅田川下り、スカイツリー、熱海海上花火大会……。帰路では、母は決まって、「もういいよ。迷惑はかけられない」と言った。せっかくの休日を母のために使っているのに、と思うと、怒りを覚えることもあった。

しかし、通夜の席で意外なことを聞いた。叔母たちが、「お姉ちゃんは、光恵に歌舞伎に連れて行ってもらったとか、スカイツリーに行ったとか、とってもうれしそうに話していたんだよ」と教えてくれたのだ。

母の本音に全く気づかなかった愚かな娘。そんな娘を母は許してくれるだろうか。今でもまだ、私は自分を責め続けている。

(ひととき)気づけなかった本音 | 朝日新聞(2015年9月8日)